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おおきな木
ウーヴルには、個人で創業してからずっと続けている「絵本研究会」なるものがある。
この絵本研究会は、当時、何かといえば絵本を贈る習慣があった私に、多くの友人が、「結婚のお祝いに、何かいい絵本ないかしら?」「出産に贈りたい!」「お誕生日のプレゼントにしたい」「お客様に・・」など、事あるごとに、相談を受けることが多かったため、それならば、そんなプチプレゼントにセレクトしやすいよう、お役に立てれば・・・の思いからはじめた小さな活動だった。
でも、私だけの偏ったセレクトではなく、絵本好きが集まってワイワイやったら、楽しいだろう!と思いが膨らみ『研究会―ボヤージュ』という名前で、有志数名の小さな会を創った。なんにもない研究会に友人やスクールの受講生が参加してくれた。そのおかげで今がある。この場を借りてありがとうと伝えたい。
実はその初期のころから、私のコラムも続いている。
そこから5年経ち福岡へウーヴルが移ったことを機に、福岡支部ができ、今定期的に「おやつ1品、好きな絵本1冊」を持ちより、絵本研究会が定期開催されるようになった。
私の絵本の対象者はこどもではなく「大人」。
絵本のプレゼントはこれまでいろいろなシーンで使ってきたが、大人が絵本をもらうって、これがまた深い。そんな絵本好きが実はたくさんいることを、今再度感じている。
大人が涙して心を洗いたいときや、疲れた心に温かな言葉を足したいときや、感謝や愛情を伝えたいときや、なかなか言えない思いが絵本の中にある。
5月の絵本研究会で、紹介した絵本が「おおきな木」。
久しぶりに手にする「おおきな木」は、子育てに忙しくしていたころに感じるものと、全く違う読み方がそこにあった。
昔は、与えることを惜しまず・・・を、ただただ与えればよい!と思っていたのだと思う。
献身的に尽くせば、それはそれだけで素晴らしいと・・・・。
切り株になった「木」を見て、何にもなくなるまで与え続けることが大切なのだ・・と我が子に対してだけを思い読んだように思う。
今でもそれに変わりはないのだが、少しそこが進化していて、今回読んだときは、なぜ立ち続けるgiveを考えなかったのだろうか・・と思った。
つまり、昔とは違って私には大切な人が増えたのである。
多くの仲間やお客様、社員に同志、友人たち。慕って集まってくれる人や、私を支えてくれる人たち。家族の関係も変わってきた。
私が倒れたら・・・という重責がある。話し合うということも手段に加わった。
与えるためには資源が必要なのだと身を持って知ったのである。
絵本の中の切り株になった木と、老人になった少年は、この後どうなるのだろう。
本当に助けの必要な「時」をしっかり見定めなければならないのだと、また一方では、与えられることに決して甘えてはいけない。と・・・・・。
私は一人でここまで来たのではなく、本当にたくさんに人の力と愛情によって今を迎えている。十分にそれを活かせていないのではないだろうか・・・、私は年をとった少年になってはいないだろうかとわが身を振り返ってもいる。
私は「木」であり、「年をとった少年」なのだ。
そして、マザーテレサの「それでも」の言葉に思う。
マザーテレサは、与えるのは物資だけでない。与え続けるための「在り方」が大切なのだ・・と言っているのではないだろうか・・・。
だから、この木はただただ自分の「おおきな木」としてのミッションを果たしただけなのだと思った。
この本は、読む時期やタイミングでいかようにも捉えることができる。
今の自分を最も投影しやすいのだと思う。
限りない愛情ってなんだろう!こどもから大人まで感じることが多い絵本です。
いつからでも読み解く大切なメッセージを毎回手に入れられます。
あなたは与えることがどこまでできますか?
あなたの在り方は誰を救いますか?
そして、今は誰を、何を愛していますか?
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