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miyake's essay こころ静かにすると・・・・ |
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ぼくのともだち、おつきさま 作・絵 アンドレ・ダーハン 訳 きたはしようこ 出版社 講談社
ぼくのともだち、おつきさま
高速運転中一度だけ、見た光景。今でも心に残る光景。
お月さまからまっすぐにおりた一番輝く星が、 山間をくねくねと走るたび方向を変え、 右に・・・、左に・・・、ゆっくりとゆらゆら揺れていた。
それは、まるでお月さまに糸でつるされた振り子のように。 お月さまと星の共演である。
その振り子の揺れに合わせて、音楽が聴こえてきた時間。 ほんの5分程度のことだと思うけれど、この奇妙な感覚。
実際には、メロディも音楽もないけれど、確かに音楽を聴いたような気がすることが、ときどきある。私は空気の音楽と呼ぶ。
よく、「空気のような存在」というけれど、その空気だ。 しかし、この感覚表現は違えども、私だけではないらしい。 「わかる~」という人がたまにいる。
よかった、頭がへんなわけではないらしい。 そもそも、聴こえたような気がするというか、勝手にメロディを口ずさんでいるのかもしれない。
で、どんな時に感じるかというと、音がないとき。 実際にはいろんな音がしているのだけれど、 あたりの声も、音も聞こえなくなるくらい、頭が「空(くう)」な状態で、自然の美しさを見た時。
ようは、放心状態??ってわけだ。
なんとも不思議なメロディ。でも決まって一人の時である。 なぜ、ひとりかというと、たぶん、そこに囚われる「言葉」がないから。
そして、この音楽を聴いた後は、決まってよいことが起こる。 すてきな出会いや、思わぬご褒美。 運転中でこうだったのはいただけないかもしれないが、 そのくらい心静かであったことは間違いない。
めったに聴こえないのは、いかに日々、いろんなことを考えているか!ってこと。 頭を「空(くう)」にすることは本当に難しい。 いろんな感情が、いろんなことが常に生きているからこそ、付きまとう。
「色即是空 空即是色」。無我の境地。 心にも頭にも何もないことが、どれだけ難しいことだろう。
この世は何も初めからない!と言われても、あるじゃない!! そう思う私はなかなか境地に辿り着けそうもない。 邪念がいっぱいである(笑)
情報過多の時代に、正しい選択ができるようになるためには、 「こだわり」を捨て、自分をしっかり見つめなくてはならない。
情報が多いからこそ、いつも流れてくることに惑わされず、 言葉の真実を見極める「空(くう)」の目が必要なのだろう!
こんな生きにくい時代だからこそ、 何にもないことを言葉で表現せずにいられて、 沈黙でも居心地のよい「空(くう)」な時間を共有できる相手がいるとしたら、 それだけで人生、儲けものなのかもしれない。
ありがたい存在だ。
でも「空(くう)」だから、失くして初めてありがたさを知るのだと思うけれど・・・。
先日、月をみて、振り子を思いだしたときに浮かんだ一冊。
今日の絵本は、文字のない絵本。 原作のスイス版にも日本版にも文字はない。 英語版には文字が付けられているらしいが、訳はぴったりとは感じなかった。
やっぱり文字はないほうが似合う絵本。 なぜって、聴こえる絵本だから。
アンドレ・ダーハンの温かい色遣いと、 ポップな表現が愉快な気持ちにしてくれる。
ここではやっぱりワルツだ!
彼はある取材でこう語る。
「休暇をイタリアのコルシカ島で過ごしていたある晩のこと。海の近くに家を持っていて、そこでのんびりと外を眺めていた。気持ちがいいくらい空が澄んだ晩で、とても大きな美しい月がでていた。とてもきれいな月だった
(中略) 私はその時、“月を自分のものにしたい”と思った。そして、“このことを絵本にできる”と確信した。それを本当に素直に表現したのがこの絵本。」と。 (世界でいちばん愛される絵本たちー白泉社より)
彼はきっとその晩、空気の音楽を聴いたと私は思う。 しあわせな気持ちで、しかも邪念なく、既成概念にとらわれず、 ありのままで描いたから、誰をもしあわせにするのだろう。
余計な言葉を・・・、音を・・・排除して、 この絵本のページをめくると空気のワルツが聴こえてくる。
時に静かに、時に軽快に。 アンドレも聴いたのではないかと勝手に想像する、そのメロディが聴こえてくる気がする。
空気の音楽。聴こえないけれど、頭に浮かぶ音楽。
だから、 無音の中で読んでも、さみしくならず、心が温かくなる一冊。
この神様から与えられた大自然と一体の気持ちになってみてほしい。 読むのではなく、聴いてほしい。 静かな夜のための一冊です。
いつも聴こえるくらい、こころ静かでいたいものです。
あなたは、空気の音楽を聴いたことがありますか? あなたの心は、多くの情報に惑わされていませんか?
三宅 美穂子
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